船乗り達のみちしるべ

Vol.13 恵山(えさん)

今回は恵山をご紹介いたします。
「恵みの山」と書いて「えさん」と読みます。
何ともありがたいご利益のありそうな名前ですが、もともとは「火を噴き溶岩が流れ落ちる。」というおどろおどろしい意味のアイヌ語の「イエサン」から、この名前が付けられたと言われています。
恵山は函館から東に約50キロ、北海道南部の渡島(おしま)半島の東端に位置する標高618メートルの活火山です。アイヌ語の意味の通り、活発な火山活動により山の中腹から上部にかけては植物の生えない荒々しい山肌がむきだしになっている姿を呈しており、その荒涼とした姿は青森県下北半島の恐山と並ぶ霊場として人々の信仰を集めています。

恵山の位置する恵山岬は、岬全体が火山で構成されていると言っても過言ではないほど、恵山は海に間近に迫っているので、船から見ると、まるで水平線から火山が直接そびえ立っているように見えます。

また、一般にはあまり知られていませんが、恵山岬と津軽海峡を挟んだ対岸の青森県の尻屋崎を結ぶラインが津軽海峡の東端であると同時に、日本海と太平洋の境界線でもあるのです。つまり、ここが遥かアメリカ西海岸まで広がる広大な太平洋のスタートする地点でもあります。

このようにいわば海の十字路とも言える地点に位置する恵山ですが、海から遠く望むことのできるので、昔から船乗りたちの目印になっていました。
今から200年ほど前に箱館(現在の函館)を拠点として国後島、択捉島など現在の北方領土の漁場を開拓して富をなした豪商、高田屋嘉兵衛の船も、箱館を出航した後、襟裳岬をかわして釧路から国後島、択捉島というルートで航海をしていたのですが、箱館を出航して、まず最初に恵山を目印として東へ東へと航行していました。
そのため、高田屋嘉兵衛は航海の守り神として、海上安全と記された十一面観音菩薩像を恵山の賽の河原付近に奉納して航海の安全を祈願したと言われています。

また、荒々しい山頂付近とはうって変って、恵山の山麓はエゾヤマツツジの群生地として有名で、春から初夏にかけてツツジの赤い花が山裾を一面に覆う美しい光景を楽しむことが出来ます。
しかし、同時にこの時期は気温と海水温の違いから非常に海霧が発生しやすく、恵山岬一帯の海域が濃霧に包まれる時期でもあります。飛行機で上空から見るとミルクを流したような乳白色の濃霧の中から恵山の荒々しい山肌が突き出している神々しい状況となりますが、船乗りたちにとっては視界の悪い、非常に危険な状況となります。

更に、冬には当然のことながら本州よりもはるかに気温の低い、最低気温が氷点下15度をも下回る厳しい北の海の海洋気象に見舞われます。

ケミカルタンカーの甲板上には何本もの配管が設置されており、積荷である液体ケミカル製品やタンクの洗浄水に使う清水を通しています。
北海道航路を定期的に航行する船は、これらの配管に電熱線や保護シート等を巻きつけて保温や加温をすることにより凍結を防いでいるのですが、これらの装備の無い船では、配管内に残っている水分が凍結して氷となり、体積が膨張する事によって水道管が破裂するのと同じように甲板上のバルブが破裂してしまうことがあります。
また、操舵室の前面ガラスに寒冷地仕様の電熱線が装備されていない船では、ガラスに霜が一面に張り付いて凍結してしまい、船橋からの視界が十分に確保できなくなるという危険性もはらんでいます。

北海道は、これから再び厳しい冬を迎えようとしています。
本州から北上し、津軽海峡を縦断して恵山沖まで差しかかった船乗りたちが目にする荒々しい恵山の光景は、ここから先は更に厳しい北海道の海であり、ますます気持ちを引き締めなくてはいけないという警告を発している、極寒の「船乗りたちの道しるべ」なのです。

島民の貴重な足である阿多田島フェリーと船内の学生室
上空から見た恵山。岬全体が火山で構成されていることが分かる。
(出典 気象庁ホームページ)
島民の貴重な足である阿多田島フェリーと船内の学生室
初夏の恵山山麓を美しく彩るエゾヤマツツジ
島民の貴重な足である阿多田島フェリーと船内の学生室
陸側から見た恵山山頂付近の賽の河原
(画像提供 函館市)