船乗り達のみちしるべ

Vol.10 洞海湾(どうかいわん)

今回は洞海湾をご紹介いたします。 「洞海」と書いて、いにしえの昔は「くきのうみ」と呼ばれていましたが、現在では洞海に湾をつけて「どうかいわん」と読みます。 福岡県北九州市北部に位置する幅約200~300メートル、長さ約10キロの水路のような細い湾で、響灘(ひびきなだ)から北九州工業地帯を貫くように東から西に伸びています。 元々は紀元前3世紀頃に形成された天然の湾で、19世紀までは面積も現在よりはるかに広く、明治時代までは車海老、河豚、鯛、牡蠣などの魚介類の漁場となるほどの豊かな海でした。 しかし、1901年に官営八幡製鉄所が八幡に設置されて以来、数多くの重化学工業が北九州に集まり、沿岸部は大部分が埋め立てられて工業用地や港湾として利用されるようになりました。
また、八幡の対岸の若松港は筑豊炭田の石炭積み出し港として江戸時代から利用されていましたが、明治の近代化以降は暖房用燃料や製鉄原料など石炭の用途が広がるにつれ、その出荷量は急激に増加し、洞海湾は北九州工業地帯および北部九州の発展に欠かすことのできない重要な港湾へと成長していったのです。

その一方で、洞海湾は工場からの工業排水に含まれるシアニド、カドミウム、ヒ素、水銀などにより、年を追うごとに水質汚染が深刻となっていきました。 戦時中の1942年には、ついに漁獲高がゼロとなり、更に1960年代の高度成長期には、化学物質により船のプロペラが溶け、大腸菌さえ棲むことのできない「死の海」と呼ばれるほど極度に公害に汚染された海となってしまいました。
海だけでなく、工場の煤煙による大気汚染も激しさを増し、多くのぜんそく患者や光化学スモッグによる健康被害を引き起こすことになりました。

しかし、1970年代以降、子供たちの健康被害を心配した母親たちをはじめとして、危機感を感じた地元の人々がこのままではいけないと立ち上がり、官民で一致協力してヘドロの浚渫、工業排水の浄化、埋め立て処理等、公害に対する様々な対策を講じて来ました。 多くの人々が長い期間にわたって継続して努力した結果、洞海湾の水質は徐々に改善され、現在では魚介類が再び生息できるまでに回復しています。

また、同様に大気汚染も改善され、皿倉山から見おろす、澄んだ空気の中に北九州港工業地帯の明かりが煌めく洞海湾の夜景は、美しい自然の中の奈良の若草山、山梨の笛吹川フルーツ公園と並んで新日本三大夜景の一つにも選ばれることになったのです。

水質が浄化されてもなお、洞海湾が北九州の産業にとって重要な港湾であることに変わりはありません。現在でも年間約1万隻の船舶が、厳しい環境基準を守って洞海湾を往来しています。
私たちの運航するケミカルタンカーでもMARPOL条約の、ばら積み有害液体物質に関する規制で、液体貨物の排出基準が厳しく規制されています。有害液体物質の海洋投棄の禁止は勿論ですが、海洋投棄が許されている有害液体物質の洗浄水であっても陸から12マイル以遠の海域でしか投棄してはいけない規則になっており、ケミカルタンカーがこれを順守する事が沿岸の環境保護の一助になっているのです。

また洞海湾の特徴としては、前述のように幅が狭いため、何隻もの船舶が無秩序に運航していると衝突する危険性があります。
そのため、洞海湾では1日を12回に分けて数時間おきに入航船と出航船を分けて通行させる航行管制を実施しています。船舶には牧山、若松港口、および二島の3か所の信号所から電光掲示板で管制信号を表示して、若松海上保安部が湾内の船舶航行の安全を守っています。
しかし、入航時間に間に合わないと、湾の入り口で信号が変わるまで2~3時間ほど待機しなくてはならなくなるため、お客様への納入が遅れてしまう可能性があります。逆に荷役が終了して出航しようとした時が、出航信号ではなく入航信号の場合には、すぐには出航できないため、翌日の航海予定が狂ってしまう恐れもあります。
そのため洞海湾に入港する船舶は洞海湾の入航時間、出航時間を常に意識して、これに間に合わせるよう運航予定を立てているのです。

人々のたゆまぬ努力により美しさを取り戻した洞海湾は、2008年に環境モデル都市、2010年に環境未来都市に選定された北九州市が全世界に誇る環境先進港として注目されている海なのです。

高度成長期の洞海湾と現在の洞海湾(画像提供 北九州市環境局)
皿倉山から見た夜景(画像提供 公益財団法人 北九州市観光協会)
洞海湾にかかる日本初の長大吊橋 若戸大橋(画像提供 北九州市広報室)