門(もん)散歩

Vol.8 芝丸山古墳

今回は芝公園内にある古墳をご紹介します。
都会のど真ん中に古墳?!と思われるかもしれませんが、都内には全長100メートル級の古墳が3基あったと言われています。
その中でも「芝丸山古墳」は最大級の規模だったそうです。

芝丸山古墳

芝丸山古墳は都内最大の古墳で、第1回目にご紹介した「芝・東照宮」の裏手に、こんもりした山のようなものがありそれが古墳です。平地に忽然と小山があり以前から不思議に思っておりましたが、言われてみれば納得です。

古墳の形は最もポピュラーな前方後円墳。造られたのは4世紀後半~5世紀前半だと言われています。1979年3月に東京都指定史跡「芝丸山古墳」として登録され、碑や由緒書きの看板があります。

標高約16メートル、全長約106メートルで前方部は約40メートル、後円部は約64メートル、くびれ部幅は約22メートルとのことですが、江戸時代以降、原形はかなり崩れてしまい、墳頂や後円部西側は削られてしまっています。

明治31年に日本考古学の先駆者・坪井正五郎博士によって調査されましたが、すでに後円部中央に位置していたと考えられる埋葬施設が失われていたので、内部の構造は明らかではなく、副葬品なども不明。しかし少量ですが埴輪は出土しているようです。

古墳といえばお墓。では誰のお墓なのでしょうか・・・

一般的には前方後円墳は中央政権の権威とつながりをもった、有力な首長クラスの墳墓といわれています。
由緒書きによりますと付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路を治めていた南武蔵(みなみむさし)有数の族長ではないかと考えられています。

伊能忠敬の石碑

江戸時代、日本全国の海岸線を歩いて測量した伊能忠敬(いのうただたか)を讃える石碑があります。
後円部を登ると広場になっていて、この古墳を利用して伊能忠敬が測量実習をしたことを記念する測地遺功の石碑だそうです。
この地には小高い場所はここしかなかったので絶好の場所だったのでしょう。 なお、忠敬の死後に編さんされた「大日本沿海奥地全図」の測量の起点となったのが「高輪大木戸(たかなわおおきど)」だそうです。
また、その地図は精度の高さで評価されています

丸山貝塚

正式な学術調査はされていないそうですが、丘陵の東南斜面に貝層が残存しています。
表面的な観察ではハイガイ・ハマグリなどの貝殻から成るものではと思われています。
わずかに安行式土器片が発見された事実があり、縄文時代後期の貝塚ではないかと推測されています。
芝丸山古墳は縄文時代の貝塚があった場所に大和朝廷時代に築造されたことになります。

円山随身稲荷大明神

増上寺の裏鬼門に位置する芝丸山古墳の中腹に鎮座する神社で、現在は芝東照宮の末社となっています。

外苑東通り沿いに芝丸山古墳に登れる遊歩道があり、少し登るとすぐに広場ありその奥に鳥居とお社があります。
鳥居をくぐるって階段を登り小さめの神使の狐にお出迎えされ社殿へ。小さなお社ですが厳かな雰囲気で存在感を充分に放っています。
近年のパワースポットブームでも隠れた場所として注目されています。

こぼれ話

古墳のお話をもう少し・・・

都内には100メートル級の古墳が3基あったと記述しましたが、2位・3位はどこだと思われますか?
2位・3位は都内でも有数の高級住宅地として有名な大田区田園調布の「多摩川台古墳群(たまがわだいこふんぐん)」と呼ばれる多摩川北岸の丘陵地帯に、二つの大型前方後円墳の間に8基の古墳が連なった場所に現存します。

最寄り駅は東急東横線・多摩川線の多摩川駅。徒歩約5分です。 電車からも見えますのでご存知の方もいらっしゃると思います。 現在は「多摩川台公園」として整備され「古墳展示館」(入場無料)があり、古墳群から出土した埴輪・金環・ガラス玉・直刀等のレプリカが少量ですが展示され、復元された石室も見学することができます。 出土品のオリジナルは両国の「江戸東京博物館」に収蔵されているそうです。 古墳群の列はここからさらに世田谷区野毛まで延び「野毛古墳群(のげこふんぐん)」と合わせ全長約5Kmにわたり50基ほどの古墳群が形成され、両方を併せて「荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)」と称されることもあります。

2位の「亀甲山古墳(かめのこやまこふん)」は前方後円墳で4世紀末~5世紀初期に築造され全長約105メートル。「荏原台古墳群」の中では最大となり、後円部が一部損壊していますが全体に保存状態は良好で破壊も盗掘もされていないので、内部の副葬品は手つかずのままと思われています。 発掘調査が行われていないので詳細は不明ですが、今後、調査がされれば意外な発見があるかもしれません。 現在は多摩川台公園となっています。

3位の「宝来山古墳(ほうらいさんこふん)」も前方後円墳で4世紀初期~中期に築造され全長約97.5メートル。都内でも最古のものと考えられていますが、昭和9年に「後円部」の3分に2が削られてしまいましたが、「前方部」を含めた残存部は良好な形状が保たれています。 かつて、後円部が削られたときに墳頂下3メートルから国産の四獣形鏡、勾玉、ガラス製小玉、直刀等が出土しています。 平成7、8年に発掘調査がされ墳墓の詳細な規模が判明し、新たに土器なども出土したそうです。 現在は宝来公園となっています。

前方後円墳とは・・・

皆さんも教科書等でお馴染みの「○」と「△」を組み合わせたような古墳時代を象徴する鍵穴のような形の古墳です。
「古墳=前方後円墳」というイメージがありますね。
死者を葬る部分を後方部の円形に作り、その前方部の方形に副葬品などを納めました。
代表的なものでは大阪府堺市にある「大仙古墳(だいせんこふん)」が有名です。
なぜこのような形をしているのでしょうか?
一説には「○」は女性を「△」は男性を表していて、「○」=邪馬台国の卑弥呼、「△」=出雲の須佐之男命(スサノオノミコト)を意味していると言われています。

故に「前方後円墳」は九州と出雲の統合の象徴であるとの説があります。
ピラミッドもそうですが、古来より巨大な墳墓は権力の象徴とされてきましたので、両者とも一国を築き統一していた権力者であるが故の説かもしれません。

芝丸山古墳のアクセス

  • 都営三田線:芝公園駅 徒歩約5分