門(もん)散歩

Vol.4「増上寺 Part 2」

Vol.4「増上寺 Part 2」

今回ご紹介するのは・・・前回に引き続き『浄土宗大本山・増上寺』です。 徳川将軍家墓所と増上寺周辺の隠れた見どころとそれにまつわるお話をご紹介いたします。

徳川家の菩提寺

増上寺は、徳川家康が関東の地を治めるようになってまもなくの天正18年(1590年)に徳川家の菩提寺として選ばれました。
選ばれた理由としては家康公がときの住職・源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。

  • (徳川秀忠甲胄)
  • (徳川家霊廟天井板)

徳川将軍家墓所

安国殿裏手に位置し、二代将軍秀忠公をはじめ6人の将軍、お江与の方、皇女和宮さまら5人の正室、三代家光公側室桂昌院(5代家綱公生母)をはじめ5人の側室、及び歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

戦前は厳粛かつ壮麗な霊廟はいずれも国宝に指定されていましたが、2度にわたる空襲の直撃を受けほとんどが焼失してしまいわずかに残った建物もその指定を説かれてしまいました。
焼失した御霊屋群はしばらくのあいだ荒廃しておりましたが、昭和33年から文化財保護委員会の許可を得て詳細な学術調査を行われたのち、桐ケ谷斎場にて荼毘に付され、戦災にあうまでは増上寺大殿の南北(左右)に配していた墓所を1か所にまとめ現在地に改葬されました。
墓所正面の鋳抜門は左右の扉に5個の葵紋が配され、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜されています。

墓所は特別公開日が設けられおりどなたでも拝観できます。
平成26年の有料公開日は1月1日~12月28日までの土・日・祝日、無料公開日は5/10・5/15・9/15・10/2・10/11・10/12のいずれも開扉時間は10~16時です。(詳細は増上寺HPに掲載されています)

黒門(くろもん)

三解脱門の並び左手に位置しています。
現在の御成門交差点付近にあった増上寺方丈の表門であった旧方丈門です。
建造年代を記した記録がないのですが江戸時代初期の特徴を示す様式から17世紀後半のものと推測されるそうです。
門内部の中央天井には唐獅子や牡丹が浮彫されていて精巧で写実的な図柄は、長年の風蝕のため退色していますが桃山建築の豪華さの面影は残っています。

め組の供養碑

三解脱門をくぐった右手の奥まった場所に位置しています。

火事の多かった江戸に町火消組織「いろは四十八組」が誕生したのは享保5年(1720年)です。 出火の知らせは火の見櫓から半鐘を鳴らし、火元が近ければ連打、遠ければ間隔をあけて打つ、という具合に江戸市中に伝えていました。
普段は鳶職を生業としているのですが、火事場では建物を壊して延焼を防いでいました。 高所を身軽に動きまわって猛火と戦う彼らは町民の憧れの的でした。
この供養碑は某将軍のテレビ時代劇や「め組の喧嘩」でお馴染みの増上寺門前にあった町火消し「め組」の殉難者・物故者の供養のために、享保元年(1716年)に建立されました。

首提灯(くびちょうちん)と常夜燈の模型

「三解脱門」手前の歩道に古典落語の一つ『首提灯』のあらすじとその舞台となったと記された立札と江戸時代を偲ばせる「常夜燈」の模型があります。
『首提灯』のあらすじは・・・

『首提灯』のあらすじは・・・ ある晩、酔っぱらった町人がふらふらと芝山内(しばさんない)を歩いていたところ、通りがかりのお侍に道を尋ねられました。
町人は相手が田舎から出てきた侍だろうと決めつけ、酒の力もありさんざん悪態をつき、その挙句、調子に乗ってツバまで吐きかける狼藉を働いてしまいました。
これに怒った侍が居合い腰でスパッと町人の首をはねたのですが、あまりに切れ味が見事だったので、町人は自分の首が完全に切られていることに気づかず、お侍が去った後もぶつぶつ悪口を言いながら歩いていました。 町人が石につまずいて首が落ちそうになり、初めて自分の首が切られたことに気づいたのです。
その時、近くで火事が発生し、その知らせの半鐘が鳴り響くと大勢の町人が道に出て、あっという間に道は人でいっぱいになってしまいました。
どちらに行っても人にぶつかり、そのたびに町人の首が落ちそうになるので、とうとう自分の首を提灯のように持って「はい、ごめん、はい、ごめん」と人ごみを歩いた・・・というお話です。
町人は品川の遊女へ会いに行く途中で、お侍は麻布の屋敷への道を尋ねたのですが、当時この辺りは、試し切りや追いはぎが出るとの噂があり、

町人は酒で勢いをつけたのでしょうが裏目に出てしまったようですね。

時代劇でよく見かける「斬り捨て御免」。
庶民が武士に非礼を働いた場合、「その場で打ち捨ててよい」という特権ですが、むやみに人を斬れば殺人事件として扱われました。
実際に斬り捨てた場合は、武士が町奉行に届け出てその経緯について裁定を仰がなくてはなりませんでした。
正当な理由がなかった場合は、切腹を命ぜられたり、お家断絶となることもありました。
やたらと斬りつけることはできなかったので、庶民もそれを承知でわざと武士を挑発することもあったそうです。
舞台となった「芝山内(しばさんない)」とは江戸時代の増上寺境内のことで、現在の東京タワーやプリンスホテルを含む辺り一帯の地域をそう呼んでいました。
常夜燈は江戸の夜道を照らしていた当時の街燈です。
ボンヤリとした灯りだったようですが、暗闇が当たり前だった当時としては画期的なものでした。

アクセス

  • 都営地下鉄三田線 御成門駅 徒歩3分:芝公園駅 徒歩3分
  • 都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅 徒歩5分
  • 都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅 徒歩7分
  • JR山手線・京浜東北線 浜松町駅 徒歩10分