新造船「明和丸」ができるまで

新造船「明和丸」特集-「株式会社 栗之浦ドック」

8月から連載(3回)で『新造船「明和丸」ができるまで』を特集してきましたが、その建造にあたっては「株式会社 栗之浦ドック」様(以下、「栗之浦ドック」)の強力なサポートがありました。
今回は、「明和丸」の建造を担当した造船所にスポットをあて、設計から建造・完成までの秘話なども織り交ぜながら、「栗之浦ドック」をご紹介いたします。

1.「栗之浦ドック」の歴史

栗之浦ドックの創業は昭和12年まで遡り、創始者の成瀬倉太郎氏が八幡浜運輸株式会社より八幡浜市栗野浦365番地の修繕船工場を購入し、木造船の建造及び修理を開始したことから始まります。 その後、戦時中近隣の造船所の統合を経て、戦後独立。昭和25年に法人化し、有限会社栗之浦ドックを設立しました。

  • 昭和30年に現会長である成瀬鹿造氏が社長に就任
    し、工場・設備の近代化と吸収合併やグループ化に
    よる事業拡大が始まります。

【工場・設備の近代化と事業拡大の歩み】

昭和33年 鋼船への転換を図るべく第二工場を増設
昭和35年 鋼船としての第一号船を建造
昭和43年 株式会社へと組織を改める
昭和44年 四国南岸、南九州初のドライドックを第一工場へ建設 同年にNK船級の外航5,000D/Wタンカーを建造
昭和46~50年 7,000~8,000D/Wの近海外航貨物船を建造
昭和51年 第二工場拡張と共に10,000D/W型ケミカルタンカーを建造
昭和56年 12,000D/W型(SUS316L)ケミカルタンカーを建造
昭和57年 17,000D/W型ケミカルタンカー、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ等、準遠洋航路に就航のエタノール専用船を建造
昭和59年 国内初のダブルハルタンカー4,000D/W型を建造
昭和63年 CADシステムを導入し設計部門の合理化を図ると共に、同年NCシステムを導入
平成16年 第二工場において、23,000D/W型(SUS316L)ケミカルタンカーを建造、同年第三工場において、25,000D/W型バルクキャリアーを建造
平成21年 成瀬倉祥氏が社長に就任

現在では、三好造船・白浜造船・淡路工場(旧寺岡造船・南あわじ造船)・保内重工業を傘下に収め、499GTクラスから、内航では6,000キロタンカー、外航近海では30,000D/Wまで、中型ケミカルからスモールハンディまで幅広いラインナップと多くの建造船台を保有しています。
「栗之浦ドック」ホームページ
(http://kurinouradock.co.jp/)

【栗之浦ドックについて】

(代表取締役会長 成瀬鹿造さん)

昭和30年3月にこの会社にきてすぐ社長になりました。数えで26歳の時です。木船の職人でしたから、何事も自分で造ることが基本です。それが今でも「自前主義」として、会社全体に引き継がれていると思います。
時代が良かったこともあり、あまり苦労したという記憶はないのですが、やはりモノ造りですから、それが出来た時にはすべて忘れてしまうのかもしれません。
進水式を迎えた時は、それまでの苦労なんて吹き飛んでしまいます。お客様に船を渡す時は、可愛がっていた娘を渡すような気持ちになります。
いつの時代も造船に必要なものは“心”です。
お客様に対しても、取引先や社員に対しても、“心”を持って対応する。これからもずっと大切にしたいことです。

(代表取締役 成瀬倉祥さん)

私が入社した昭和の終わり頃は、大変な不況で外航船の受注は一隻もありませんでした。当社は内外航船の受注比率を均等にすることを基本としているのですが、当時は2~3年の間、全て内航船で何とか切り抜けました。
リーマンショック後も同様でしたが、苦しい時に内航船主に助けていただきました。普段から、お客様と良好な関係を築くことの大切さを身に染みて感じました。
「明和丸」は499トンクラスのケミカルタンカーで、当社としては新しい船型でしたので、当社のノウハウを最大限に生かして、お客様の要望に応えるための様々な提案をさせていただきました。
お客様にご満足いただける「良い船」が出来たと自負しておりますので、今後も末永く明和海運の船を当社で造らせていただきたい。それが私の希望であり、夢でもあります。

(常務取締役 五島 宏さん)

当社は10,000トンクラスのケミカルタンカーに早くから参入していましたので、その構造や設備についても、手探り状態で原型を造り上げてきました。 また、当時はIMOも歩き始めたばかりで解釈が一致しないことが多く、当局や海外にもよく足を運び、日本の立場や状況を説明し理解を求めながら、ケミカルタンカーの黎明期において、その土台造りに貢献できたと自負しております。
乗りまえ(耐航性)が良くて、多くの荷物が積めて、そして速いのが良い商船と云われていましたが、現在では、地球環境を守るため船舶に対し、陸上以上の環境負荷低減が課されており、世界中が知恵くらべの大競争時代を迎え、その対応に大変なエネルギーを割くこととなっており、生き残りをかけて努力をしていく所存です。

2.「明和丸」の建造について

(取締役企画室長 成瀬智文さん)

最初のミーティングの時から、燃費のことを強く要望されていたので、できるだけ燃費の良い船にしなければいけないと意識しました。非常に制約のある船型・サイズですので、屯数が抑えられていて、積荷の量も取りたい、スピードも出したい、それぞれが相反する中で、それをできる限り満たし、使いやすい船にすることを目標に設計しました。
ただ、船というのは同じものがなく、一発勝負的な部分もあり、造ってみなければ分からないところも多いので、慎重に建造を進めました。このサイズとしては新しい船型でもあったので、今までのノウハウを基に、新たな条件の下でそれを満たすための方策について出来る限りのことを考えました。
特に、明和丸は大きいバルバスが特徴ですが、予想と実証を繰り返し、ある程度想定していたものに近い船ができたと思います。就航後も求められていた燃費をクリアしていると聞いて安心しています。
今後、更に燃費を向上させ効率を上げることがルール化される中で、どこかでブレークスルーした画期的な船を造りたいという夢を持っています。現時点では、技術的に何か新しいことがないと、次のステージにいける船が少ないのですが、その辺りのことを新たに研究し、メカニカル的なことではなく、船の船型とか構造を改良することで、効率を追究していきたいですね。
色々な制約が多い中で、そういったことを実現しながら、いかに他社より良い船を造ることができるかが、今後の生き残りの大事なポイントになってくると思います。安かろう悪かろうではなく、良い船を造り、それを認めていただいて、それに見合う船価でご購入いただけたら嬉しいですね。

(取締役造船部長 倉橋常久さん)

私にとって船というのは自分の娘だと思っています。全てが可愛いのです。進水式は出産です。無事に出産してもらわないと困ります。やはり難産もあれば安産もあります。ですから、何百回出ても進水式の時は涙が出ます。
造船というのは子育てと同じで、娘を大事に育てて、船の引渡し時は、その花嫁の身を預けるのです。嫁入りと同じで、その時は体が震えます。
ですから、どうか「明和丸」を大事にしてください。ずっと、見守っています。
いかにお客様のニーズの応えられるか、自分の娘を可愛がってもらえるよう自分も可愛がる、そして無事に出産して渡す、それが私のモットーです。

(工場長 福島峰明さん)

一般的に建造作業は2人一組等のグループで行うことが多いのですが、当社では出来ることはなるべく1人で行います。周囲に必ず他の作業者がいますし、私も常に目を配る様にしているので、安全面も問題ありません。
また、できるだけ幅広い業務を任せることで、通常は各工程毎に別組織で作業しているのをひとつのチームでできるようになります。
多能工によって、限られた工員の作業効率を高めています。
熟練から若者まで幅広い工員がいますが、特に若い工員には「しかって、ほめて、伸ばす」ことを心掛けています。全体に目を配りながら、絶対に「安全」と「納期」は守るという信念をもって、チームをまとめています。

3.社員の皆さん

【設計部の皆さん】

【設計部設計課の皆さん】
船舶設計のプロ集団。船を建造する側の観点や高い知識、これまでの実績などを踏まえ、色々なアイデアやきめ細かいご提案をいただきました。

【設計部電算課の皆さん】
決定した船型を基に、各部材や細かい加工寸法等を決定し、無駄なく精度の高い切断作業等の効率アップならびに設計の合理化を担う精鋭チーム。

【現場スタッフの皆さん】
きめ細かくコツコツと、時には良い意味で大胆に「明和丸」の建造にご尽力いただいた「栗之浦GUYS」!!
残念ながら写真に収められなかった方も含め、福島工場長のリーダーシップの下、一生懸命に船を造る仕事に打ち込む姿に感服しました。
熟練工の方だけでなく、若手の皆さんにも現場での良いアイデアをいただき、建造に立ち会えたことを深く感謝しております。

【女性社員の皆さん】
栗之浦ドックを明るく陰で支える「栗之浦GIRLS」!
進水式の際には、天気予報で雨という状況の中、手作りの「てるてる坊主」を窓に吊るしていただき、皆さんの明るさとパワーが天に届き、奇跡的に雨も上がりました。
温かい心遣い、本当にありがとうございました!!

「素晴らしき造船マンの皆さん、ありがとうございました!」