明和海運株式会社

60th anniversary

海運豆知識

第122回

港の歴史

港に喫水の深い大型の船が入るようになると、港は水深の深い沖に向かって 突き出した突堤を必要とするようになります。例えば、神戸港のそもそもの始まりは兵庫を流れる湊川(古名は弥奈刀川)の河口部に設けられた大輪田の泊とされていますが、対宋貿易の拡大を目指して神戸福原に都を移した平清盛が突堤を築いたことによってそこは経ケ島あるいは兵庫島と呼ばれるようになり、室町時代には対明貿易の窓口となるなど、神戸港は国際貿易港として歩みを進めていくことになったのです。
しかし、日本各地の港が整備され、そこに商人の店や倉庫、邸宅が集まる事で 港町が形成されるようになったのは江戸時代からです。神戸港の場合も、寛永時に北前船が日本海から下関、瀬戸内海を経て兵庫に至る航路が開かれると、1年間に150~160隻程度の廻船が入港するようになり港は大いに賑わいました。幕末になると幕府は欧米各国から来航する黒船への対応に苦慮しましたが、やがて横浜、長崎、箱館(函館)、兵庫(神戸)、新潟が開港すると特に横浜と神戸は外国人居留地によって醸し出される独特の文化と雰囲気を持つ港町として、また日本の玄関口として大きく発展していくことになりました。
ところで、港は船の進化や貨物の荷姿の変化に応じて、その形態や機能を少しずつ変えてきました。しかし、近代に入ってから港の構造と景観、また荷役のあり方を大きく変えたのは重化学工業の発展によって工業港が作られたことと各種の専用船が作られるようになったこと、そして、1960 年代に起ったコンテナ革命でした。各国の主要港はコンテナ輸送に対応するためにコンテナ埠頭の整備を進め、日本でも神戸港がいち早く摩耶埠頭にコンテナターミナルを整備すると、他港もそれに続きました。
他方、国内では大型トラックやコンテナを運ぶトレーラー、あるいは自家用車などのカーフェリーによる中長距離輸送が盛んとなり、それが港でのフェリー埠頭の拡充を促してきました。