明和海運株式会社

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海運豆知識

第121回

航路標識の歴史

船が沿岸や狭い水道を航行する際に山や岬などの自然の目標物を頼りにするだけで は紛れやすく、また夜間は見えにくいことから、昼夜ともに見易い標識を設置して航海の安全に備えることは洋の東西を問わず古くから行われてきました。こういう標識のこ とを航路標識と呼びます。
紀元前3世紀頃の地中海にはアレキサンドリア湾口プァロス島の「アレキサンドリアの大灯台」やロードス島の「ヘリオスの巨像」といった有名な灯台が既に建設されており、古代ローマ時代から中世にかけても地中海沿岸やドーヴァー、ブルターニュ地方などでは各地の塔の上に灯火を点し船からの目印にしていました。
日本でも船の目標とするために浜や岬の突端でかがり火を焚いたり狼煙を挙げるといったことは古代から行われており、河川や沿岸の浅瀬には目的地、船の通路、障害物の所在などを示す木柱も立てられました。この木柱のことを澪標(みおつくし)、後に転じて水尾木(みずおぎ)と呼び、大阪市章のデザインはそれをもとにしたものです。
江戸時代に入り菱垣廻船(ひがきかいせん) 、樽廻船(たるかいせん)などによる内航海運が発展してくると、石造の台の上に木造の建物を設置した灯明台が日本各地に建てられるようになり、その中で菜種油に浸した灯心を燃やすようになりましたが、それ以 外に海岸近辺の高台に建てられた寺社の常夜灯なども船の目印としてよく利用されました。
ヨーロッパでは17世紀から18世紀にかけて石、レンガ、コンクリート製の灯台が数 多く建てられ、18世紀後半になると反射鏡を用いて光源部を回転させることにより、 光の明るさが増し、識別をしやすいような工夫が施されるようになりました。そして、19世紀にランプが光源として導入され、その光をレンズで拡大する方法が確立したことにより、灯台の性能は飛躍的に発展したのです。こうした洋式の灯台は、明治元年に フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーの指導によって観音埼灯台が建てられたことを皮切りに、続々と日本で建設されるようになり、潮岬、神子元島、佐多岬、 剣崎、友ヶ島、石廊埼、犬吠埼、御前埼など28個もの灯台が建設されました。当時灯台は近代文明の象徴言われ、これら建設に携わったイギリス人のリチャード・ヘンリー・ ブラントンは航路標識と灯台管理法の指導も行い、その多大な功績によって「日本の灯台の父」と称されています。