船乗り達のみちしるべ
Vol.24 清水港
今回は清水港をご紹介いたします。
清水港は静岡県静岡市東部の清水区にある国際拠点港湾であると同時に中核国際港湾でもある重要港湾です。清水と言えば天女の羽衣伝説のある美しい三保の松原、Jリーグの清水エスパルスやちびまるこちゃんの町として有名ですが、富士山を背景にした美しい港の景観が海外からのクルーズ船旅客に大人気で2025年には年間108回もの国際クルーズ船の入港を誇る国際観光港としても賑わっています。

海岸線からまるで双頭の大蛇が顔を突き出しているような三保半島に守られている清水港は外洋(太平洋)の波の影響を受けない地形になっています。そのため古くから天然の良港として利用されてきたと考えられますが、清水港が始めて歴史上の書物に登場したのは日本書紀で、663年にこの地一帯を本拠地とする廬原君臣(いおはらのきみおみ)が約一万の兵士を率いて百済との白村江の戦いの援軍として出発したとの記述があります。
戦国時代には甲斐の武田氏や駿河の徳川氏の水軍の拠点として利用され、駿府城築城の際にはこの港に資材を集積して運んだといわれています。
江戸時代に入ると駿府のお膝元である清水港は徳川家康により軍事上および海上交通上重要な拠点として整備され、西国の赤穂の塩を江戸に運ぶ中継地や富士川の水運を利用して信濃や甲斐から運ばれて来た米を江戸に運ぶ積出港など物資輸送の中間点としてますます発展して行きました。
時代は下り明治時代には国際貿易港として外航船の発着が始まり、清水にはお茶の名産地である静岡県の緑茶を取り扱う外国の商社が次々と進出して、お茶の積出港として繁栄しました。
更に時代が下るとお茶だけにとどまらず静岡県特産のミカンやマグロの缶詰、楽器類、オートバイ等の積出港として重要な役割を担って来ました。
戦後の昭和27年には国の特定重要港湾に指定され、静岡県の産業の発展に大いに貢献しましたが、昭和45年からは国際コンテナの扱いが始まり、現在では京浜、阪神、伊勢湾、北部九州などの国際海上コンテナターミナルを有する中枢国際港湾に次ぐ規模である中核国際港湾として北米、欧州等の主要航路を結んでいます。
清水港独特の特徴としては、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の地球深部調査船「ちきゅう」の母港となっている事が挙げられます。「ちきゅう」は海底下7,000mという世界最大の掘削能力を持ち、巨大地震発生の仕組みや生命の起源、将来の環境変動、新しい海底資源の解明などのミッションを担っています。最近では2026年2月に南鳥島付近の6,000ⅿの海底からレアアースの試掘に成功するという我が国独自のレアアース資源開発の第一歩となる偉業を成し遂げています。

また三保半島の付け根付近には双方向を海に挟まれる絶好の立地条件に恵まれた国立清水海上技術短期大学校があり、そこでは将来の我が国の海運を担う多くの若者たちが日々勉学や実習に励んでいます。この数年で明和タンカーにも同校の卒業生が数多く入社するようになり、明和海運社船のケミカルタンカーの航海士や機関士として第一線で活躍しています。


当社は定期的に清水港に液体ケミカル製品を輸送しています。
駿河湾の青、三保の松原の緑、その奥には真っ白な雪をいだく霊峰富士という美しいコントラストを眺めながらの清水港への入港は、クルーズ船の旅客はもちろんですが常に緊張を強いられて危険物を輸送しているケミカルタンカーの船乗りたちにもひと時の安らぎ与えている事でしょう。
















