海上職

明和フリートオーナー

久志 透

勇幸丸 船長
菅原ジェネラリスト株式会社

Interview 1

子供のころ将来思い描いていた自分

私の出身は、長崎県五島列島にある上五島という島で、そこに高校を卒業するまでいました。父が巻網遠洋漁船の船長をして、近所の家も漁船に乗っている人が多かったので、大きくなったら船乗りになるものだと思っていました。

高校を卒業してすぐに大型巻網漁船に乗り、21歳で船長になりました。前の船長が体を壊し免状を持っているのが私しかいなかったので、かなり若い船長で稀なケースだったと思います。10年経ったころ魚が捕れなくなったので、知り合いの紹介で内航ケミカルタンカーに移り、それから約25年間ずっとケミカルタンカーに乗っています。

漁船からケミカルタンカーに転船した時は、全く違う世界で覚えることや船内作業も多く大変でしたが、今ではこれほど知識とスキルを必要とする仕事はないと誇りに思っています。

Interview 2

仕事への思い・やりがい等について教えてください

とにかく安全第一。ケミカルタンカーの船長になってから10年以上経ちますが、「絶対に事故を起こさない、船員にケガをさせない」というしっかりとした志を持って日々の仕事に臨んでいます。一度、事故を起こせば荷主やオペレーターからの信頼を失ってしまいますし、みんなに迷惑がかかります。そればかりか、ケミカルタンカーの場合は、海洋汚染や環境への影響も大きく、大変な仕事をしているという自負を持っています。

特に着桟時には、細心の注意を払っています。船長の指示の下、各船員が自分の役割をきちんと果たすことが重要です。そのために、普段から船内の和を保つことに気を遣っています。規律を守りながらコミュニケーションをとり、若い船員とは一緒に食事に行ったりして、お互いに話がしやすい環境を作れるよう心掛けています。

Interview 3

プライベートはどんなことをして過ごしていますか?

若い時からサウナに入るのが大好きで、家の近くに銭湯があるので、休みの日は毎日通っています。湯船につかるのは苦手なので、もっぱらサウナ専門です。

また、数年前、妻が仕事を辞めてからは、休みの日に時間があれば妻と一緒によく旅行に行っています。今は北海道に住んでいるので車で道内を周ったり、旅行会社に勤めていた妻の案内で海外旅行にも行きます。

29歳の時に結婚して25年を迎えましたが、今まで妻と喧嘩をしたことがありません。最近分かったことなのですが、若い頃、私が怒った時、言い返すと喧嘩になってしまうので、言いたいことをぐっと堪えてくれていたそうです。英語が堪能で、着物、お花、テニスと多彩な趣味で本当に良くできた嫁だと思います。今でも夫婦の仲が良く、毎日電話もしていますが、こんな自分によくついてきてくれたと感謝しています。

そんな妻に感謝の気持ちを込めて、何かしてあげたいと考えているのですが、まだこれといったものが思い当たりません。今は、妻のやりたいことをさせてあげることが、ささやかですが、私のできる感謝の形なのかなと思っています。