明和海運株式会社

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海運豆知識

第119回

港の起源

人間が船を使って河海に乗り出すようになると、人が安全に船に乗り降りし荷役をするための場所、あるいは荒天を避けて船を泊めておけるような場所が必要となりますが、それがそもそもの港の起源と言われております。
港を表現する言葉でport又はharborがありますが、英語のportはラテン語のportare(運ぶ)、harborは「軍隊をかくまう避難所」というのがそれぞれ語源と言われております。イギリスではdockという語が狭義の港を指すことがありますが、その意味するところは船を入れる人工的な入江や掘割のことを指しています。
ちなみに、地中海のマルタ島は水深、奥行きの深い湾による天然の良港に恵まれていることで知られ、島の名はフェニキア語のmelitaに由来し、避難所・港を意味していると言われております。また、三重県の鳥羽にある 坂手・菅・答志の3島(注1)は天然の防波堤とする良港で、昔から太平洋沿岸航路における避難港の役割を果たしてきた重要なところですが、鳥羽の地名はそれを意味する泊場に由来するという説があります。
かつて日本では港を指すのに津や泊という語が用いられており(注2)、海岸や河川に沿った町の名前にそれらが残っているところも少なくありません。また、ミナトと発音する場合には、水門、水戸、湊、美奈刀などの字があてられていましたが、水門は川や海に流れ出るところ(河口)や、両方から突き出した陸地によって囲まれた入江の入口などを意味する語であり、初期の港が河口や入江に造られたことを考えると、ふさわしい呼び名のように思います。少なくとも古代のナイル河や地中海などのように比較的大きな船が行き来していたところではそれなりの港が必要だったはずで、東地中海ではそうした港の遺構も多く見つかっています。
日本では大和朝廷が確立したころに朝鮮や中国の使者を迎えるために、尼崎(古名は海人崎)から西宮のあたりに武庫むこ(務古)水門みなとがが、また大阪に難波津なにわつが造られたとされています。武庫水門は武庫川河口部を中心とする一帯にあったと言われています。全国から朝廷に献上された500隻ほどの船が武庫水門に停泊していた際に、新羅からの使者が乗っていた船が出火して多くの日本船を類焼させてしまったため、新羅王は謝罪のために優秀な船大工の一団を日本に献上したところ、その人々は摂津国(大阪府北西部と兵庫県南東部)に定住しと名乗るようになったという興味深い話も残っています。

(注1)坂手・菅・答志の3島周辺に位置する、桃取、加布良古、菅島の各水道は狭く、潮の流れが速いため、通狭には知識・経験が必要で難所と言われております。
(注2)津波という語は今や世界中で通じる国際語になっていますが、その元の意味は「津(港)を襲う大きな波」といわれています。