明和海運株式会社

60th anniversary

クローズアップ明和

第73回

船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.23根岸

今回は根岸(ねぎし)をご紹介いたします。

根岸と言えば明治の俳人、正岡子規が松山から上京して子規庵を結んだ東京都台東区の根岸も有名ですが、ここでは海に関するお話として神奈川県横浜市磯子区の根岸に関するお話をご紹介いたします。

根岸
近くの高台には幕末の開港以来、横浜に数多くいた外国人居住者向けに建設 された日本初の西洋式競馬場が現在では根岸森林公園として整備されており、付近には瀟洒な住宅やマンションが数多く建てられています。
その高台の一角には「海を見ていた午後」という楽曲の舞台となったレストラン「ドルフィン」があり、歌詞の中にソーダ水のグラス越しに貨物船が見えるという意味の一節がありますが、残念ながら現在では付近に新しいマンションが立ち並び、眼下には延伸された2層式の首都高速湾岸線が視界を遮っているため高台に位置するとはいえ当時ほど海が一面に広がる風景ではなくなってしまいました。

しかし明治時代初頭まではこの地域はわずかな土地での農業と漁業を営む寒村に過ぎませんでした。
横浜(神奈川宿)から西へと向かう主要街道の東海道からは遠く離れ、三浦半島方面へ向かう脇街道である浦賀道(うらがみち)は、もっと内陸部を通っているため、海沿いのこの地域は交通の便が非常に悪い地域でした。
というのも現在の風景からは想像もつきませんが、当時はこの付近は高さ約50メートルの切り立った海食崖が海岸線のすぐ近くにまで迫る平地に乏しい地形だったのです。
根岸と同じ横浜市磯子区には京浜急行電鉄の「屏風ヶ浦」という名前の駅がありますが、屏風ヶ浦とは切り立った崖が屏風のようにそびえ立っている海岸という意味で、当時のこの付近の厳しい地形を如実に物語っています。

82号山下本牧磯子線
磯子駅前の横浜市主要地方道82号山下本牧磯子線
※左手奥に海食崖がそびえている。この道路付近が以前の海岸線であった。
現在は画像右手奥にJR根岸線と首都高速湾岸線が走っており更にその奥に は広大な製油所が広がっている。

このような寒村に港湾施設や工業地帯を埋め立ての話が持ち上がったのが明 治時代の末でした。近接する横浜港は早くから開港しており、根岸にも港湾施設の造成が計画されたのです。
実際には当時の稚拙な埋め立て技術では外国航路の大型船が着桟出来るよう な港湾を作ることはできずに計画は頓挫してしまいました。
しかし、その後もわずかながら埋め立ては進められ、掘割川河口の埋め立て地 には動物検疫所が建設されました。

また、今では殆ど知られていないのですが、戦前の根岸には埋め立て地を利用した飛行艇用の飛行場が設置されていました。
九七式飛行艇という水上飛行機を利用して、横浜からサイパン、パラオ等の南方の島々への定期便が開設されたのを始め、遠くはスペイン領ティモール島(現在はインドネシア領)まで航空路を伸ばしていました。
太平洋戦争後期には特攻隊員を特攻基地まで移送する任務に利用されていたという悲しい記録も残されています。
しかし、太平洋戦争の敗戦に伴い日本は連合国によって航空機を飛ばすことが禁じられたため根岸の飛行場は廃止となりました。
今では埋め立て地の地名が大空に羽ばたく鳳凰から一文字を取った鳳町(おおとりちょう)であること以外は、その痕跡は全くうかがい知ることが出来ません。

戦後まもなく、この地区に大規模な臨海工業地帯を建設するための更なる埋め立ての計画が持ち上がりました。
当然のことながら海を埋め立てるという事は、根岸の漁業者が生活の糧である漁場を失うことになります。
そして、埋め立てを巡って漁業者と横浜市との間で2年間にも亘る話し合いが行われ、昭和34年にやっと両者の間で合意がなされました。
その結果、根岸の海岸は沖へ沖へと埋め立てられていくことになるのです。埋め立て地に建設されたJR根岸駅西口の前には、埋め立てに合意した記念碑が建てられていますが、その記念碑には横浜市の発展のために先祖代々の漁場を放棄した漁民の無念さが刻まれています。

JR根岸駅前に佇む記念碑
JR根岸駅前に佇む記念碑

合意から5年後の昭和39年に日本石油(現在のENEOS)株式会社根岸製油所が操業を開始し、現在では周囲12キロ、220万平方メートルの広大な敷地で一日当たり27万バーレルの生産量を誇る国内有数の製油所として首都圏を中心としたエネルギー需要に応えています。

当社ではこの製油所にてナフサから抽出される芳香族系炭化水素(ベンゼン/キレン/トルエン)等の石油化学製品を中心に日本各地の製油所とこの根岸製油所の間を輸送しています。
また令和2年以降は石油化学製品以外に航空燃料の輸送もお手伝いさせていただいています。

異国情緒あふれる、みなと横浜のすぐ南側の根岸には、かつて付近の漁師たちの生活を支える漁場だった海と引き換えに横浜市の発展、ひいては日本の産業の発展を支えてきた一大製油所が広がっているのです。

根岸上空から三浦半島を望む
根岸上空から三浦半島を望む
※画像左下、桟橋に大型タンカーが着桟している一帯が根岸製油所
道路より海側が埋め立て地/figcaptin>