門(もん)散歩

Vol.6「愛宕神社」

今回は・・・前回の虎ノ門ヒルズの御近所「愛宕神社」をご紹介いたします。

江戸の頃からの由緒正しい観光スポット・愛宕山。23区内の最高峰の山頂に愛宕神社はあります。
江戸時代には安藤広重の江戸名所百景では版画として採用され、曲垣平九郎(まがきへいくろう)が急な石段を馬で駆け上り、桜田門外の変では浪士たちの集合場所になり、幕末には勝海舟と西郷隆盛が江戸の町を見下ろしながら江戸城無血開城の相談をした場所になり・・・愛宕神社には数々の歴史エピソードが詰まっています。
現代では毎年6月中旬の千日参り(ほおづき市)が有名です。
また、境内には古民家の中華料理店やフレンチレストランがあり、神社の南側にはNHKの放送博物館があります。

愛宕山

山の証である三角点があり、標高約26メートルの自然地形の山では23区内で一番高い山です。 標高0メートルの地点から山になっていますので高さを実感できます。 現在は高層ビルが立ち並び見晴しは期待できませんが、江戸時代には江戸市中有数の行楽地で、絶景を求めて大勢の見物客で大賑わいだったそうです。

山頂からは眼下に密集した武家屋敷や東京湾、遠くは房総半島まで見渡すことができたと言われています。
春は桜、夏は蝉しぐれ、秋は紅葉・・・それぞれの季節を楽しませてくれる風光明媚な山としてとても貴重な場所です。

愛宕神社

1603年、慶長8年、江戸幕府開府に伴い徳川家康公の命により「防火の神様」として祀られ、祭礼には下附金を賜るほど当時の幕府から尊崇されていました。
将軍家の寄進により、慶長15年、本社をはじめ末社仁王門、坂下総門が建立されましたが、その後江戸の大火で全焼してしまいました。
明治に入り再建された後、大正の関東大震災、昭和の東京大空襲にて再び焼失ししましたが、昭和33年に氏子の寄付により再建され現在に至っています。

江戸時代には「天下取りの神社」、「勝利の神」としても有名な神社でした。

【 主祭神 】
火産霊命(ほむすびのみこと)<火の神>
【 配祀 】
罔象女命(みずはのめのみこと)<水の神>
大山祇命(おおやまづみのみこと)<山の神>
日本武尊(やまとたけるのみこと)<武徳の神>
【 境内末社 】
太郎坊神社、福寿稲荷神社、弁財天舎、恵比寿大黒社

出世の石段

愛宕神社の正面にある急な階段の男坂は「出世の石段」と呼ばれ86段あります。
その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがきへいくろう)の故事にちなんでいます。

増上寺を参詣した帰りに徳川家光が山頂に咲く梅を目にし「誰か、梅の枝を馬で取って参れ!」と命じましたが、あまりに急な階段に誰もが尻込みをするなか、讃岐丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が見事に馬で上り下りし梅の枝を献上しました。
家光公より「泰平の世に馬術の稽古を怠ることなくまことにあっぱれ」、「日本一の馬術の名人」と讃えられ、一日にしてその名を全国に轟かせたと伝えられています。

その後、出世をした曲垣平九郎。この江戸時代のサクセスストーリーにあやかって、男坂を上って参拝される方が大勢いらっしゃいます。

実際の石段を目にするとあまりの急勾配に馬で上り下りなんて無理!講談の話だからちょっとマユツバものと誰もが思うのですが、江戸以降にも何人かトライした方がいらっしゃったそうで、時代時代に曲垣平九郎が存在しています。

ちなみに成功された方は・・・

明治の曲垣平九郎=明治15年: 石川清馬(いしかわせいま)
大正の曲垣平九郎=大正14年: 岩木利夫(いわきとしお)
昭和の曲垣平九郎=昭和57年: 渡辺隆馬(わたなべりゅうま)

神社には成功された方の絵や写真が展示されています。
また、曲垣平九郎が献上したと言われる梅の木は、拝殿前の左手にあります。

出世の石段を上り下りしてみて・・・
とにかくこの石段、傾斜角度が約40度の急勾配。階段を見上げた時と上り切った後の景観は圧巻です。
一段一段の幅が狭く高めなので思いのほか上り難く、振り返る余裕もなく一気に上り切りましたが、かなりの運動量です。
正面を向いたまま下りるのが怖かったので足元を見つめて一段一段、慎重に歩を進め何とか無事に下り切りました。 周りの景色を楽しむ余裕がなかったのが残念です。

体力に自信のない方は、石段に向かって右手にあります緩やかな女坂や愛宕トンネル脇のエレベーターを利用されることをお勧めします。

千日参り(ほおづき市)

毎年6月23、24日に愛宕神社の境内で千日参り(ほおづき市)が行われています。
この日に参拝すれば千日分の御利益があると言われ、普段は静かで閑散とした境内が大勢の参拝客で賑わい、すれ違うのも苦労するほどです。
また、社殿前には「夏越しの祓」の茅の輪が用意され、これをくぐることで無病息災と延命長寿を祈願し、御利益を授かることができると伝えられています。

ほおづき市といえば浅草が有名ですが、愛宕神社の縁日でほおづきが売られていたことがほおづき市の発祥となり全国へ広まったと言われています。
古くからほおづきは薬として用いられ、煎じて飲むと子供の癇の虫や女性の癪(しゃく:胃痛)に効くと言われ、お土産に買って帰るのが昔からの慣習だそうです。

桜田門外の変

安政7年3月(万延元年)、江戸城桜田門外にて安政の大獄に不満を持った水戸・薩摩の浪士たちが大老・井伊直弼を襲撃した事件。 早朝に浪士たちが愛宕神社に集結し神前に祈願した後、桜田門に出向いたことに由来して「桜田烈士」を弔う碑があります。

江戸城無血開城の会談の地

大政奉還後の江戸開城の会談の地としては高輪の薩摩藩下屋敷、田町の蔵屋敷などが有名ですが、ここ愛宕神社も勝海舟が西郷隆盛を誘い山頂で江戸市中を眺め「江戸の町を戦火で包むことは避けよう」と話し合い、江戸城を無血開城に導いた場所と言われています。
現在では当時を偲ぶことができないほどビルに囲まれて眺望は利きませんが、ちょっと足を止めて江戸の昔に思いを馳せてみるのも良いかもしれません。

NHK博物館

大正14年(1925年)に東京放送局(現:NHKラジオ第一、AMラジオ放送)が日本初のラジオ放送を開始した場所が現在は博物館になっています。
高台で当時は周囲にビルがなく、通信環境が良かったので選ばれたようです。

こぼれ話

放送局ができる前のこの場所に「愛宕塔」という明治22年に建てられた5階建ての高塔があったそうです。
ドーム屋根のニコライ堂をコンパクトにした洋館で、旅館兼西洋料理店の「愛宕館」の付属の建物で最上階は展望台がありました。
愛宕館の廃業後もこの高塔は残っていましたが、関東大震災(大正12年)で倒壊してしまい、当時の面影は江戸東京博物館に保存されている数点の絵画や明治・大正時代の東京の写真で観ることができます。
また「愛宕塔」は明治中期には「浅草・凌雲閣」、「土橋・江木時計店の尖塔」と並ぶ東京三大塔の一つとして有名でした。

アクセス

  • 東京メトロ日比谷線:神谷町駅  徒歩5分
  • 東京メトロ銀座線:虎ノ門駅   徒歩8分
  • 都営三田線:御成門駅      徒歩8分
  • 都営三田線 内幸町駅 A3出口 徒歩約8分
  • JR線:新橋駅         徒歩20分