門(もん)散歩

Vol.3「増上寺 Part 1」

今回ご紹介するのは・・・徳川家菩提寺の『浄土宗大本山・増上寺』です。
見どころがたくさんありますので2回に分けてご紹介したいと思います。
迫力ある三解脱門(さんげだつもん)と東京タワーを借景にした大殿を有した境内はじっくり見学すると意外と広いです。
また、港区では有名な桜の名所でもあります。

由緒

明徳4年(1393年)に浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)に浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。
現在の地には慶長3年(1598年)に移転しました。

増上寺の桜

表門(三解脱門(さんげだつもん))をくぐると正面に大殿、大殿の右後ろに東京タワーがそびえ、それを縁取るようにソメイヨシノが咲き誇った様子は圧巻です。
昼間の暖かな陽気に誘われ、この見事なコラボレーションを楽しみたい人々で満開の時期はかなり混雑しますが見ごたえ満点です。
お寺ですので閉門時間があり、残念ながら境内の夜桜をめでることはできませんが、東京タワーに続く脇道は街燈がボンボリのような感じになって、ライトアップされた東京タワーとのコラボレーションも一味違った見ごたえがあります。
境内には約200本のソメイヨシノがあり、その他にも枝垂桜などもあります。

三解脱門(さんげだつもん)

この門をくぐって増上寺境内の散策が始まります。 東京都内有数の古い建造物で東日本最大級を誇る門です。 この門は中門にあたります。(表門は大門です)
増上寺が江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています。
三解脱門とは3つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門という意味だそうです。

2階内部には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されています。
仏像の作者は不明でしたが、最近の研究で室町時代末期から江戸時代初期にかけて活躍した下御門仏師・宗印一門の作とわかりました。
制作年代は天正末期から慶長前半であろうと推測されています。
この2階内部は現在、非公開ですが3年ほど前に一度、戦後初めての一般公開がされました。

  • 釈迦三尊像
  • 十六羅漢像

大殿(だいでん)

三解脱門をくぐった正面に位置し、東京タワーを借景に堂々たる姿は圧巻です。昭和49年(1974年)に浄土宗大本山の念仏の根本道場として戦災によって焼失した本堂が再建されました。

ご本尊

阿弥陀如来・南無阿弥陀仏(あみだにょらい・なむあみだぶつ)

ご本尊の阿弥陀如来(室町期制作)は両脇壇に高祖・善導大師と宗祖・法然上人の御像が祀られています。

  • 善導大師像
  • 法然上人像

安国殿(あんこくでん)

大殿に向かって右手に位置し、殿内中央には恵心僧都(えしんそうず)の作と伝えられる秘仏・黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。

周囲の壁には徳川将軍家の家系図が展示されています。

黒本尊

家康公が深く尊祟し陣中にも奉持して、そのご加護により度重なる災難の除け戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像です。
家康公没後、増上寺に奉納され勝運・災難除けの仏として江戸以来広く庶民の尊祟を集めています。
黒本尊の命名は家康公によってと伝えられていますが、永い年月の間の香煙で黒ずんでいるからとか、人々の悪事災難を一身に受けとめて御躰が黒くなったなどによります。

鐘楼堂

三解脱門をくぐった右手に位置しています。
最初の鐘楼堂は寛永10年(1633年)に建立されましたが、現在の鐘楼堂自体は戦後に再建されたものです。 重さは15tもあります。
鐘楼堂に収められている大梵鐘は、延宝元年(1673年)にあまりの大きさに7回の鋳造を経て完成し、『江戸三大名鐘』の一つに数えられ、東日本で最大級といわれています。

『江戸三大名鐘』は諸説ありますが、芝(増上寺)・上野(寛永寺)・浅草(浅草寺)といわれています。
江戸時代の川柳には「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」・「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」・「西国の果てまで響く芝の鐘」などと詠われ江戸っ子の鐘として親しまれていました。

アクセス

  • 都営地下鉄三田線 御成門駅 徒歩3分:芝公園駅 徒歩3分
  • 都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅 徒歩5分
  • 都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅 徒歩7分
  • JR山手線・京浜東北線 浜松町駅 徒歩10分