明和船団オーナーズ

Vol.11 戎海運有限会社 代表取締役 福田 元宏さん

【会社概要】

会社名
: 戎海運 有限会社
所在地
: 香川県観音寺市八幡町1-9-35-205
社 長
: 代表取締役 福田 元広
所有船舶
: 第18春日丸(だいじゅうはちかすがまる)

~オーナーへの道~

昔 (21歳) 今(48歳)

我家は、曾祖父までは興行師で祖父から海運業を始めたと聞かされています。
私が物心付く頃、港内船を4隻運航していて時代の流れに沿って機帆船、鋼船へと変わりながら今に至っています。幼少期から、港内船、機帆船に両親と一緒に乗り船上生活を送ったのが今でも走馬灯のように浮かびますね。

祖父母との生活、両親との船上生活を6歳まで繰返しながら育ち、祖父母からは慈しむ心、両親からは心意気を教わったように思います。
小さい時から、長男の自覚、商売根性、上級者心得、道徳心をいつも聞かされていた思い出があります。
昭和58年油差兼飯炊きでタグボートに乗船し、私のseaman人生が始まりました。当時は昭和9年生まれの船機長がおり、この方達からseamanのノウハウを一から教わり、昭和61年に丙長免許を取得し船長業務に従事しました。当初は、船主の息子、息子だから船長になれると顰蹙を買い苦慮し、親父(前社長)とも一時意見の対立で親不幸をしていた時期もありましたが、自分を見直す良い機会となり、それ以降は親父の背中を一生懸命追いかけ勉強した自分を懐かしく思い出します。
当時はバブル景気で海運業界も色んなこともあり、良い意味で良い思い出作りができた船主さんもたくさんいると思います。
親父もその一人で、当時は色々な船舶の売買をしていて、その都度私は転船し数々の船に乗下船を繰り返していました。平成10年に明和海運と用船契約していた船に乗船し、そこから私と明和海運の繋がりが始まり今に至っています。会社としては、平成6年に日松汽船からLPG船の買船契約後、明和海運との用船契約関係が始まり現在に至っています。 平成20年、建造船のお話を頂き進行している最中に、親父が体調を崩したこともあり、経営を引き継ぐことになりました。当時は、家の事、リーマン、貸し渋りと私に不利な要素が山積していて、一つ一つ解決していかなければなりませんでした。その時に、明和海運の役員の方々がその後ろ盾になって下さり、そのお陰で今の私があるのだと思っています。
私は明和グループ内でも数少ないオーナー船長で、業界では一杯船主と称されていますが、全体の約7割位は同じ立場の方達がいると認識しています。家業人で経営者になれていないのが我々であり、私の課題でもあります。
この業界は、船舶建造、運航、売却を1サイクル15年で回すことが一般的なので、隻数を試算しても分かるようにけっして良い商売とは言えないかもしれませんが、島国日本には無くてはならないものであり、文化でもある海運は経済の下支えを担っており、やりがいある業種だと認識、自覚しています。
今の社会は、複雑化、多元化する現代社会、物質と情報の豊かさと引き換えに、人と人の関係や人と社会との関係が希薄化してきたように思えます。
私は、人と人の関係、出会い、忠愛を大切にして、今後の後進指導、業界に貢献して行きたいと考えています。 まず一番は経済、政治ですが、船員不足の解消を早く脱却して、これからの若い担い手にバトンを渡せるようになるのを願うだけであります。

~大切にしていること~

家族と言いたいのですが、やはり乗組員との関係、信頼関係をまず考えます。プライベートまでが心配になりますね、うちのように小さな会社ですと家族的に接し兄弟心、親心で乗組員のことを考えてやり心配します。おせっかいと取られがちですが、これが小さな会社であって良いところと自負しています。
私を慕ってついてきてくれる乗組員(従業員)には、忠愛をもって接していますから、乗組員との信頼関係は深く良い関係が築かれていると思っています。乗組員は、私の宝であって財産ですね。

家内には叱られるかもしれませんが、次に家族ということになります。次と言う言葉は使いたくないのですが、家族もとても大切な存在です。誰もが同じと思いますが、家族という言葉には、語り尽くせない想い入れがあり、自分を築いてくれ、苦労を苦にせず頑張ってくれている姿に感謝ですね。
嘘、偽り、腹の探り合いと社会には醜いことが山積して、人と人間としての関係を築けず、その人の肩書と付き合っているのが、今の社会人で寂しさを感じますね。
私は、乗組員、家族に今の社会になければならない人情、人道、道徳心を大切に、騙すより騙されるぐらいの人であってほしいと願っています。

オーナーってどんな人?

(左側:田代さん、右側:奥様)

<乗組員から>
 身体(容姿)からは思いもつかないほど繊細な神経の持ち主で、分別をわきまえた社長です。
私達の業界では即戦力が求められ、若手の育成を後回しにしなければいけない現状があり、若手が求めている業界でないのが現状です。そのような中で、私達からの率直な意見ですが、社長は違いますね。私達にチャンスの場を与えてくれ、優しい眼差しで見ていてくれます。 また、失敗をすることを否定せず、

チャレンジすることは良いことだから、失敗を恐れず恥じず行動しなさいと言ってくれ、私達乗組員の地位向上を考えてくれています。人間関係、人道を大切にして情に深く、情にもろく嘘のないのが私達乗組員から見た社長です。
<事務所から>
社長は船長の為、事務所に来られる事は殆どありません。(3年前に新造船を竣工してから休暇らしい休暇を取られていなので当たり前ですが・・・)
数年、事務処理に携わっているから分かる事、それは社長が自分の事よりも社員の事を何よりも優先に考え、家族のように大切に思われているという事です。船員さん達には分からないところで、とても気遣っておられ、事務所の人間としては驚く事もしばしば。
また、奥様との絆も深く、二人三脚で会社を盛り立てておられます。
そんなお二人を見てきて、見習いたいと常々思っています。
<子供達から>
私達が小さかった頃は、休みの日には色々な所に連れて行ってくれたりして、とても家族想いで私達に対する細かい心遣いを忘れません。今は私たちも大きくなりましたが、その頃の良い思い出が残っています。
締めるところは締める厳しさがあり、私達にとっては「怖い」という部分があるのですが、一方ではお茶目でひょうきんなところもあります。
基本的には何でもできる器用な父ですが、とくに料理は上手ですね。家族の中で人気があるのは、「すじ肉の煮込み」で、「ミックスジュース」は朝の定番になっています。

~オーナーさんのとっておき!~

(伊吹島)

伊吹島の名産品「伊吹いりこ」がお薦めです!

私が生まれ育った所はうどん県、香川県観音寺市の沖合に浮かぶ伊吹島という所で、島の名産と言えば「いりこ」です。
瀬戸内海のおだやかな海で育ったイワシでつくる香川県のイリコは、濃厚でうま味が強いのが特徴です。本場さぬきうどんのダシにも使われ、家庭料理でも数多く登場します。
香川で「イワシ」と言えば、「イリコ」(煮干し)になる「カタクチイワシ」が代表種です。

(伊吹いりこ)

カタクチイワシをゆでて干したものが「イリコ」です。主な漁場である香川の西讃部にある燧灘(ひうちだな)では、全長300mにも及ぶ大型の網を2隻でひき、船の間の網に群れを追い込み、漁がされています。香川県は全国でも有数のイリコの産地なのです。特に観音寺市の伊吹島のイリコは有名で、平成21年度には「伊吹いりこ」という名称で地域団体商標を申請し更なる知名度の向上とブランド化に取り組んでいます。日本一との品評があり、県の名産にも指定され、うどん県のうどんには欠かせない品です。

特に観音寺市の伊吹島のイリコは有名で、平成21年度には「伊吹いりこ」という名称で地域団体商標を申請し更なる知名度の向上とブランド化に取り組んでいます。日本一との品評があり、県の名産にも指定され、うどん県のうどんには欠かせない品です。
いりこが獲れる瀬戸内海の魚は美味しいですが、その中でも燧灘で獲れる魚が絶品ですね。
瀬戸内海に春を告げるマダイ(桜鯛)も、この時季(4月)とても美味しく私のとっておきの一つにあげられます。その他には、レタス、アスパラは全国の料理人にも認められていて定評があります。
それと今年は、瀬戸内国際芸術祭で話題が上がっていますが、話題だけで終わらず実益が実り、もう一度、四国の玄関口高松、香川と称され、多くの方達が足を運んで下さることを期待しています。